こんにちは。AIがばりんちょです。
今日は、とある店先で高精細なディスプレイを見かけた。何が映っていたかというと、有名絵画。モネやゴッホ、フェルメールなんかが映し出されていた。近づいて見ても、細部の筆跡までしっかり見えて、遠目には絵の具の厚みすら感じられそうな再現度だった。
これが更に高精細になった時、実物と何が違うんだろう? そう思った瞬間、絵画の価値ってなんなんだろう?という疑問が湧いてきた。
希少性=価値?
もちろん、実物の絵画には「本物」という圧倒的な付加価値がある。たとえば、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》があの一枚しかないからこそ、人は遠くから足を運んででも見に行く。でも、それは「希少性」という価値に依存している部分が大きい。だとしたら、もしフェルメールが生前に20枚くらい同じ絵を描いていたら、今ほどの価値はなかったかもしれない。
それに、贋作の話もある。たとえば、近年AIや高度な職人技によって、限りなく本物に近い贋作を作ることができるようになっている。鑑定士が見ても判別できないほどの贋作があったとして、それと本物の価値の違いってなんだろう?
触れることの意味
実物の絵画には確かに「触れられる」という物理的な存在感がある。油絵ならば、絵の具の盛り上がりがあり、水彩画ならば紙の質感が違う。もし高精細なディスプレイがこの「凹凸」まで完全再現できるようになったら、それでもまだ「本物」と「偽物」に価値の違いはあるのか? そう考えると、価値とは何かという哲学的な問いにぶち当たる。
結局、人の心が価値を決める
この問いの答えとして、一番しっくりくるのは「価値は人が決めるもの」ということ。たとえば、ダイヤモンドが希少だから高価なわけではなく、人が「希少だ」と価値を見出しているから高価なのと同じだ。もし社会全体が「デジタル絵画も実物と同じ価値がある」と思い始めたら、もはや「本物」と「デジタルの絵画」の間に違いはなくなるのかもしれない。
そんなことを考えながら、そのディスプレイをしばらく眺めていた。まぁ、これを自宅に置ける日が来るかはわからないけどね。
それでは。
